どもども。
身体、大分変わってきた。主に毛が生えてきた、ってか声以外それしか変わってない。会う人会う人「声変わったねー」「髭生えたねー」。スカイプで親と話しててもまず髭について言われる。体重増えたけど筋肉質になったような実感は全くわかず。ま、運動してないから当然だね。PCが友達ですから。この前、ふと思い立って急に1時間ジョギングしだしたら2週間目で股関節痛めてその後きっぱりやめてしまったほどのへたれっぷり。性欲未だないが、こんな男らしくない男とつきあいたいって人いるのだろうかw
今日、NHKの「海外ネットワーク」でアメリカの同性婚論議についての話題が少しありまして。どっかの州で同性婚が認められたらしい。ただ、あくまで州単位であって連邦としては認めてない、というややこしいことになってるみたいっすね。
んで、キリスト教の熱心な信者の方々が反対するわけですよ。そこらへんが日本と違ってて面白い。日本ではそういうものに反対すると「人権侵害だ!」と言われるので腫れものに触る感じでとりあえずその存在は認める、というパターンが最近は多いように思うのだけれど。国としては認めてないけどね。
しかしアメリカでは堂々と否定する人が多い。「家族の形が崩れる、子供には父と母が必要だ!」。うん、たしかにその意見は一理あるな、と。もし親が男だけ、とか女だけ、とかだったらたぶん子供は荒むだろう。でも、同性カップルが養子持つなんてそうそうないだろうし、他人事なんだからある意味自己責任でしょ。意見として反対するのは思想の自由だけど、議員に働きかけてまで制度撤廃等を望む人ってなんなの。宗教というか信念ってそこまで人を動かすものなのか。
番組中で反対側の人が「神様が結婚は男と女がするものだと決めた」みたいなこと言ってたけどそれはキリスト教における神様でしょ?キリスト教を信じるのは勝手だけどそれを人に押し付けるってどうなのよ。そりゃ信じてる側からすればそれが唯一正しい世界なのかもしれないけどさ。宗教であることにすぎないことを認識すべきだよね、それは普遍的な価値観ではない。
・・・とか思ったのだけど、よく考えればどれが宗教でどれが宗教じゃないのだろう。考え方でもあるし概念でもあるし倫理感でもあるし。俺がこう考えてることだって俺自身の宗教なわけですよ、ある意味。キリスト教とは規模というか普遍的かそうでないか、程度の差しかない。そう考えると「宗教を議論に持ち込むな」ってことはそれ即ち何も考えるなってことになるな。だからこの場合は考え方を「押し付けるな」ってことになるな。しかし反対側の人にとっては彼らこそ押し付けられてる側なのだろう。嫌なら嫌でいいから、ほっておいてくれ、と簡単にいったら苦労しないわけで。ほうっておくこと自体に不快感を抱いてしまうんだよな、その人の宗教、考え方によっては。だから宗教同士の争いは絶えないのだろうし。
結局結論としてどうしようもないよね、ってことになったわけだが。俺の悪い癖だな。最初からなんか意見を持って記事書き始めたわけではなく、とりあえず書いてみたかったので書きあげたらこれだよ\(^o^)/しかも読み返してみたら当たり前のことだらけじゃないか。何をいまさら、と。
それでも一応まとめるならば人は、「他人は自分とは考え方が違う」って当たり前のことを忘れがちだ。いや、認識してても自分色に染めたいのかもしれないな。だから人はもうちょっと自分以外のことに無関心でいられたら、もうちょっとこの世界は平和なのかもしれないな、とわけわからんことを考えつつ。